交響曲第5番ホ短調作品64

管弦楽

作曲:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

チャイコフスキーの交響曲は第6番の悲愴が有名です。私も高校時代の途中までは、彼の交響曲は悲愴しか聴いていなかったと思います。

ところがそんなある日「この曲良いから聴いて!」と友人から手渡されたカセットテープに収められていたのがこの交響曲第5番です。あまり興味なく聴き始めたのですが、いやこれがなかなか自分にとっては衝撃的な曲で一気にこの曲にはまりました。

演奏はカラヤン/ベルリン・フィルの黄金コンビの1970年代の演奏だったと思います。

チャイコフスキーの「運命」と言われる作品で、第1楽章の冒頭から始まるメロディーは運命のテーマとして全楽章に形を変えて出てきます。第2楽章のホルンのソロ(独奏)の美しいメロディーは一度聴いたら忘れられないほどです。

交響曲第4番完成後10年を経て完成されましたが、その間チャイコフスキーはスランプに陥っていたとの評価もありましたが、その間「弦楽セレナーデ」、序曲「1812年」、「イタリア奇想曲」、「マンフレッド交響曲」などの作品が作られており必ずしもスランプとは言えないでしょう。

初演は、1888年11月17日に作曲者自身の指揮によりペテルブルグ行われました。
聴衆の反応は良かったのですが、専門家や作曲の仲間からの批評は芳しくなく、当人はすっかり自信を無くしてしまったようです。

演奏旅行で訪れたハンブルクでのリハーサルを見学したブラームスからも4楽章はいただけないとの評価を受けたようです。しかし、演奏会は大成功で自信を取り戻していったようです。

なんだか今では信じられないですよね。。

この曲の評価を高め、現在に至る功績を作ったのが指揮者の「ニキシュ」です。

ハンガリー出身の指揮者アルトゥル・ニキシュは、チャイコフスキーの交響曲第5番の真価を広く知らしめた功労者。ニキシュはこの作品をレパートリーに加え、ロンドン、ライプチヒ、ベルリンなどで大成功を収めたのです。

チャイコフスキー自身も、リハーサルを見てニキシュの指揮ぶりを高く評価し、感謝の意を示したといいます。ニキシュは第4楽章のコーダでシンバルを追加する独自の解釈を行い、これが「ニキシュのシンバル」と呼ばれた。後の指揮者の一部もこの解釈を採用している。

※このシンバルについては作曲者自身も考えていたようで楽譜の再版のおりには書き加えるように指示していたようです。

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